私が「あれ?」と親の物忘れが気になり始めたのは、ほんの些細なことがきっかけでした。
例えば、
- さっき言ったことを、忘れてしまうことが増えた
- いつも同じスーパーに買い物に行くのに、売ってる場所が分からなくなる
- 探し物をしている時間が、前より長くなった
そんな小さな変化が、少しずつ、目につくようになったのです。
どれも、すぐに「異常だ」と言えるほどではなく、でも、「前はこんなこと、なかったよな」と思うことが重なっていきました。
その“何となくの違和感”が、私の中で親の物忘れを意識するきっかけでした。
そのとき、正直不安だったこと

親の物忘れが気になり始めたとき、正直、いちばん不安だったのは、
「もしかして…」と、つい考えてしまう自分の気持ちでした。
テレビやネットで、認知症という言葉を目にするたびに、「うちの親も、そうなんじゃないか」と、心配になってしまったり。
何かひとつ忘れただけでも、「大丈夫かな」と、つい、気になってしまったり。
でも一方で、「心配しすぎなのかな」「考えすぎかもしれない」そんなふうに、自分の気持ちにブレーキをかけようとする自分もいました。
親のことを思うからこそ、不安になってしまう。
そんな自分の気持ちに、少し戸惑っていたのを覚えています。
最初は「年齢のせい」だと思っていた
親の物忘れが気になり始めたとき、私が最初に思ったのは「年齢のせいかな」ということでした。
年を重ねれば、多少の物忘れが増えるのは仕方ないことなのかもしれない。
そう思うことで、自分の不安な気持ちを、どこかで、落ち着かせようとしていたのかもしれません。
でも、しばらくそう考えながら接していても、
「年齢のせい」とだけ言ってしまうには、少し、引っかかる部分もありました。
なぜなら、物忘れだけでなく、
- 会話のテンポが変わった気がする
- 以前より、考えるのに時間がかかっているように感じる
そんな変化も、重なってきたからです。
そこで私は、「年齢のせい」で終わらせずに、
「今、親に起きている変化を、もう少し、ちゃんと知ってみよう」
そう思うようになりました。
「高齢者の物忘れ」について、私なりに調べてみた

親の物忘れが気になり始めてから、私なりに、「高齢者の物忘れ」について少しずつ調べるようになりました。
そこで分かってきたのは、すべての物忘れがすぐに病気につながるわけではないということでした。
年齢とともに、
- 物の名前がすぐに出てこなくなる
- 「あれ」「それ」が増える
- 予定をうっかり忘れることがある
といった変化は、多くの人に見られることがあるとのこと。
一方で、
- 同じことを何度も繰り返し聞く
- 忘れていること自体に気づいていない
- 日常生活に支障が出てきている
といった様子が続く場合は、周りが少し注意して見守ることも大切だと知りました。
こうして調べてみて感じたのは、
物忘れそのものよりも、「変化が続いているかどうか」を見ることが大切なのかもしれないということでした。
すぐに「認知症かもしれない」と結論づけてしまうよりも、
「今までと違う様子が続いていないか」を、落ち着いて見ていくことのほうが現実的なのではないか
そう思えるようになりました。
そう考えるようになってから、親の物忘れに対する私の見方も少しずつ変わってきたように感じています。
私が試して「これは違った」と感じたこと
親の物忘れが気になり始めてから、私なりに、いろいろ考えたり、行動したりしました。
その中で、「これは違ったな」と感じたことのひとつが、つい、親の言動を細かく気にしすぎてしまったことでした。
何かを忘れるたびに、
「さっきも言ったよ」
「ちゃんと聞いてた?」
と、つい口にしてしまったり、
何気ないことまで「大丈夫かな」と気にしすぎてしまった時期もありました。
でも、そうやって気にすればするほど、親のほうも、どこか、気まずそうにしたり、話しづらそうにしたりするようになってしまって。
その様子を見て、
「心配すること」と「見張るようになること」は、違うんだな
と、後から気づいたのです。
また、周りの話やネットの情報を見て、「もしかしたら、こういう状態なんじゃないか」とすぐに結びつけてしまいそうになったこともありました。
でも、それもまた、親の“今”よりも、自分の不安ばかりを見ていたのかもしれないと、今は感じています。
それでも続けてよかった、私なりの向き合い方

いろいろ試して、「これは違った」と感じる経験をしてから、私は親との向き合い方を少しずつ変えるようになりました。
それは、
「正そうとする」よりも、「受け止める」ことを意識する、という考え方です。
何かを忘れたときに、すぐに指摘するのではなく、
「そうだったね」
「あとで一緒に確認しようか」
そんなふうに、会話の流れを止めない声のかけ方を意識するようになりました。
また、親の変化ばかりを見るのではなく、
「親が、何を大切にして過ごしているか」に目を向けるようにもなりました。
物忘れがあったとしても、それだけで、親のすべてが変わったわけではありません。
今まで通り、好きなことを楽しんでいる様子や、何気ない会話の中にある笑顔を見ていると、「心配しすぎなくてもいいのかもしれない」
そう思える瞬間も増えてきました。
親の物忘れと向き合う中で、私がいちばん大切にしているのは、
「親の変化」だけでなく、「親の変わらない部分」もちゃんと見ること」
それが、今の私にとっていちばん無理のない向き合い方だと感じています。
親の変化と向き合う中で、私が意識していること
親の物忘れが気になり始めてから、私は、「親を見る目」そのものが少しずつ変わってきたように感じています。
以前は、「できなくなったこと」や「変わってしまったこと」ばかりに、目が向いていましたが、今は、「今も変わらずできていること」や「親らしさ」にも目を向けるようになりました。
例えば、
- 好きなテレビ番組を楽しそうに見ていること
- 昔話をいきいきと話してくれること
- 家族のことを気にかけてくれること
そうした何気ない様子の中に、「あ、いつもの親だな」と感じる瞬間があります。
物忘れという変化だけを切り取るのではなく、
その人全体を見ることが、いちばん大切なのかもしれない
そう思うようになってから、親との向き合い方が少しずつ穏やかになってきました。
まとめ:親の物忘れが気になった今、私が思うこと
親の物忘れが気になり始めたとき、私は、正直、どう受け止めればいいのか、分からなくなっていました。
心配すればいいのか、
見守ればいいのか、
何もしないのがいいのか。
その答えは、今も、はっきりしているわけではありません。
でも、いろいろ考え、向き合ってきた中で、今の私が思うのは、
「不安になりすぎず、でも無関心にならず」その中間くらいの距離感で、親と向き合っていくことが、いちばん自然なのかもしれない
ということです。
もし、あなたも今、親の物忘れが気になっているなら、それは、何かを急いで決めるサインではなく、
「これからの親との関わり方を、少し考えてみませんか」という、心からのメッセージなのかもしれません。
この私の経験が、同じように感じている方の、ほんの少しの支えになればうれしく思います。
※親の変化を見ていると、自分自身の心や体の変化についても考えさせられます。


